【日本でも愛された異色のジャズドラマー】アート・ブレイキーの名盤を聞こう!

ジャズドラマーなら知っておきたい!アート・ブレイキーとは?

最近ジャズを聞くようになったんだけど、おすすめのドラマー知ってる?
ドラマーだったら、アート・ブレイキーを聞いてみなよ!

伝説的ジャズドラマーとして知られるアート・ブレイキー。

今でこそ有名な彼ですが、初めはピアニストとして活躍していた”異色の経歴のドラマー”でもあります。

そんな経歴もあってか、ドラマーに成り立ての頃は「音楽仲間からバッシングされた」こともあったそうです…。

しかし、紆余曲折ある人生を送ってきたからこそ、唯一無二のドラムを叩けたのかもしれません。

そして最後には、アート・ブレイキーの名盤を5つ紹介していますので「初めて名前を聞いた!」という方もぜひこの機会に聞いてみてくださいね!

アート・ブレイキーは、有名ドラマーの中でも経歴に注目してもらいたい人物。「努力なしの天才はいない!」と改めて感じさせてくれる素敵なドラマーです。

実は親日家!アート・ブレイキーの生い立ち

伝説のジャズドラマー、アート・ブレイキーは、19191011日にアメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグで生まれ、19901016日に肺炎のためこの世を去りました。71歳の誕生日からわずか5日後のことでした。

晩年まで精力的にドラムを叩き続けたアートは、ジャズ界に大きな足跡を残しただけでなく、親日家としても知られていて、日本のジャズ・フェスティバルの常連でもありました。

人柄は温厚で暖かく、日本のプロミュージシャンだけでなく、オーディエンスにも親しまれていたそうですよ!

なぜ、アートは親日家になったの?

彼が日本を愛する理由には、こんなエピソードがあります。

それは1961年初来日時の出来事で、アートはある熱心な日本人のファンから一緒に記念写真をせがまれました。

当時のアメリカは現在とは違い、有色人種への差別が公然とおこなわれていたこともあり、この日本人ファンの行動に彼はたいそう驚いたそうです。

このエピソードがきっかけとなり、アートは生涯を通して、日本で積極的に演奏をおこなうことになります。

親日家ドラマーってだけでも嬉しいね!ますますアート・ブレイキーを知りたくなってきたよ!

はじめはピアニストとして活躍

アート・ブレイキーの母は、彼を出産してすぐにこの世を去り、アートは養母によって育てられました。

学校でピアノの弾き方を学んだアートは、やがて演奏してお金を稼ぐようになり、10代後半の頃にはニューヨークへ移り住み、プロの演奏家として歩み始めます。

アートがどれほどの腕前だったのかは分かっていませんが、ミュージシャンとして順調な経歴を歩んでいますね。

しかし、ある出来事が切っ掛けで、アート・ブレイキーはピアニストを断念し、ドラマーへと転向することになります。

アートがピアニストを断念した出来事とは?

そのある出来事とは、アートが演奏していたライブハウスのボスが、別のピアニストを連れてきてピアノを弾かせたところ、アートが弾くピアノよりも格段に上手かったということです。

さらに激怒していたボスは「おまえはタイコでも叩いていろ!」とアートに刃物をちらつかせて脅したといいます。

この話はどこまでが真実か定かではなく、エピソードにあるボスが連れてきたピアニストはエロール・ガーナーという説もあります。

“アート・ブレイキー”と”ドラム”との出会い

生きていくためにはドラムを叩くしか進み道がなかったアートは、ボスに懇願してドラマーとして雇ってもらうことになります。

そんなこともあってか、ドラムに転向したばかりの頃は、ライブハウスの仲間からバカにされ続け、苦労したようです。

しかし、彼には盟友のトランぺッター、ディジー・ガレスピーがいました。

そして、彼から多くのアドバイスを受け、アートのドラムはみるみる上達していくことになります。

ディジー・ガレスピーは、アートのドラマーとしての方向性を明確に示したほど影響を与えた人物とも言われています。人生のターニングポイントですね!

楽団へ所属し、一流ミュージシャンと共演。そして伝説へ…。

その後、アート・ブレイキーは、1937年から1944年までフレッチャー・ヘンダーソンの楽団に所属。

1944年から1947年までビリー・エクスタインの楽団に所属して、ドラマーとしての腕を磨いていきました。

ビリー・エクスタインの楽団には、マイルス・デイヴィスセロニアス・モンクチャーリー・パーカーといったジャズ界の巨人が在籍していたこともあり、彼らとの共演から多くのエッセンスを吸収していくことになります。

ジャズをかじった程度の僕でも知っているほどの豪華な面々…!20代でこんな凄い経験をしていたのか…!

ザ・ジャズ・メッセンジャーズを結成。リーダーとして活躍

そして、1954年にはアートの音楽活動の主軸となるザ・ジャズ・メッセンジャーズを結成し、1958年に彼の代表作にしてファンキー・ジャズの名盤Moaninがブルーノートよりリリースされます。

アルバム『Moanin』以後は、ザ・ジャズ・メッセンジャーズのリーダーとして多くの名録音を残しています。

アート・ブレイキーが伝説と呼ばれる理由とは?

アート・ブレイキーが伝説と呼ばれる理由には、メリハリのあるバッキングアフロキューバンのリズムをドラムセットで表現しているところにあります。

この二つの表現は、ザ・ジャズ・メッセンジャーズのどのアルバムでもチェックできますが、中でもアルバム『Night in Tunisia』での演奏は、唯一無二のドライブ感を堪能することができます。

「ナイアガラ・ロール」と呼ばれた特徴的な奏法は必見です!

また、ザ・ジャズ・メッセンジャーズの特徴のひとつに、メンバーの入れ替わりが多いというのが挙げられます。

これは、バンドでありがちな方向性の違いやメンバー間との不和といったものではなく、アート自身による若手のミュージシャンを育てるといった側面がありました。

事実、ザ・ジャズ・メッセンジャーズに在籍していたミュージシャンはそうそうたるメンツが揃っています。

「伝説」という二文字で表すのが失礼なぐらい、ものすごい功績を残されています。

おすすめ!アート・ブレイキーの名盤5つ紹介

では、最後にアート・ブレイキーの名盤を5つ紹介していきます

Art Blakey and The Jazz Messengers – Moanin

アート・ブレイキーの名盤1つ目は、Art Blakey and The Jazz Messengersの『Moanin』です。

1958年にリリースされた同アルバムは、ザ・ジャズ・メッセンジャーズを一躍有名にした作品で、表題曲の『Moanin』は、いわゆるファンキー・ジャズの代表曲として絶大な人気を誇ります。

ザ・ジャズ・メッセンジャーズはメンバーの入れ替わりが非常に多いバンドでしたが、同アルバムでは、新加入のベニー・ゴルソンが音楽監督の役割を果たしていて、メンバーの人選から楽曲作りまで幅広く担当しています。

楽曲『Moanin』のみ曲作りはピアニストのボビー・ティモンズがおこなっていて、ゴスペルのコール・アンド・レスポンスの影響を受けた、といった逸話も残っています。

冒頭のピアノとブラスによる掛け合いが印象的で、一度聴いたら忘れられない程インパクトのあるフレーズが特徴。映画「坂道のアポロン」でも使用されていましたね!

Art Blakey and The Jazz Messengers – Mosaic

アート・ブレイキーの名盤2つ目は、Art Blakey and The Jazz Messengersの『Mosaic』です。

1961年にリリースされた同アルバムは、トランペットのフレディ・ハバードとテナー・サックスのウェイン・ショーター、トロンボーンのカーティス・フラーによる3管構成が特徴で、「鈴の音」と形容されるシダー・ウォルトンの美しいピアノ演奏も味わうことができる、ハード・バップの傑作です。

フレディ・ハバードは、当時まだ23歳でしたが、ザ・ジャズ・メッセンジャーズでの活動により、抜群の演奏テクニックが知れ渡るようになりました。

タイトル曲でアルバムの1曲目を飾る『Mosaic』は、イントロからアート・ブレイキーの変幻自在なドラムを堪能することができ、ハード・バップの醍醐味を思う存分味わえる作品です。

アルバムの随所にアート・ブレイキーならではの強烈なバッキングアフロキューバンのリズムが散りばめられていて、全体的にメリハリのある熱いサウンドを楽しむことができます。

Art Blakey and The Jazz Messengers – Night in Tunisia

アート・ブレイキーの名盤3つ目は、Art Blakey and The Jazz Messengersの『Night in Tunisia』です。

同アルバムは『Moanin』と並び、ザ・ジャズ・メッセンジャーズの代名詞的存在の作品で、タイトル曲の『Night in Tunisia』は、アート・ブレイキーの盟友でトランぺッターのディジー・ガレスピーの楽曲です。

同アルバムでは、天才トランぺッターのリー・モーガンの鬼気迫る演奏を堪能することができます。

Night in Tunisia』は、日本では『チュニジアの夜』という邦題で多くのジャズファンに親しまれていて、『バードランドの夜 Vol.1』に収録されているクリフォード・ブラウンの演奏と共に人気があります。

もちろん、どちらの録音でもアート・ブレイキーによるアフロキューバンのリズムを堪能することができます。

Night in Tunisia』は、アート・ブレイキー入門のアルバムとしては少々刺激が強い内容かもしれませんが、ドラム・ソロをメインにした迫力満点の演奏は必聴です。

Cannonball Adderley – Somethin’ Else

アート・ブレイキーの名盤5選!続いて紹介する名盤は、Cannonball Adderleyの『Somethin’ Else』です。

1958年リリースの同アルバムは、名義こそキャノンボール・アダレイとなっていますが、実際はマイルス・デイヴィスが統制を執った作品で、アルバム1曲目に収録されたシャンソンの名曲『枯葉』の録音があまりにも有名。

とは言っても、タイトル曲の『Somethin’ Else』では、マイルス・デイヴィスとキャノンボール・アダレイの掛け合いが堪能できるので、アルバムとしては偏りのない作品として仕上げられているのがポイントです。

アート・ブレイキーは、自身のバンドだけでなく、多くのアーティストのアルバムにドラマーとして参加していて、『Somethin’ Else』もその中のひとつです。

同アルバムでのアートのドラムは、リズム隊に徹してはいるものの、キレのあるシンバルやナイアガラロールといった、アート・ブレイキーならではの特徴的なサウンドを楽しむことができるので、最初の1としてもおすすめできます。

Hank Mobley – Soul Station

アート・ブレイキーの名盤5選!最後に紹介する名盤は、Hank Mobleyの『Soul Station』です。

1960年リリースの『Soul Station』は、『Dippin』と並ぶハンク・モブレーの代表作で、全6曲中の内4曲が彼の作品で、1曲目の『Remember』と6曲目『If I Should Lose You』はジャズのスタンダートとして有名です。

同アルバムは、テナー・サックスのワン・ホーンによるていねいで美しい演奏が特徴で、メリハリのあるアート・ブレイキーのドラムとの相性も抜群の1枚です。

アート・ブレイキーは、ハンク・モブレーとも多くの録音で共演していますが、『Soul Station』はお互いに刺激しあった緊張感のある演奏が聴きどころです。

もちろん、ピアノのウィントン・ケリーやベースのポール・チェンバースとの掛け合いも見事です。

このアルバムは、全体を通して場所を選ばず、どのようなシチュエーションでも気軽に聴くことができるので、ジャズ入門の方にもおすすめ1枚です。

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挫折を乗り越えて伝説になったアート・ブレイキー

アート・ブレイキーのような歴史に残るミュージシャンは、生まれた瞬間からミュージシャンになるべく生きてきたように思われがちです。

しかし、実際には非常に挫折の多い人生だったように感じます。

「生業としていたピアノを、信頼していたボスから辞めさせられる」なんて、現代社会ならニュースになってそうな出来事だよね…

今回、簡単に紹介しましたが、アート・ブレイキーが伝説と呼ばれる背景には、数々の挫折とに努力があることを忘れてはいけません。

また、最後に紹介した5つの名盤は、アート・ブレイキーのドラムを知る上で押さえておきたいアイテムなので、皆さんの参考になればうれしいです。

もちろん、アート・ブレイキーのアルバムが初めてという方にもぴったりなので、気になる方はぜひチェックしてみてくださいね。